岡山県議会 2022-12-14 12月14日-07号
一方、長野知事は、岡山空港の滑走路を3,000メートルまで延伸し、国管理の二種空港である広島空港と同規模の滑走路を、三種空港である岡山空港に整備するために多額の県費を投入する方針を打ち出されました。この頃、長野知事は、瀬戸大橋や高速交通網の整備と相まって、「岡山県を中国地方の雄県にする」とよく発言されました。
一方、長野知事は、岡山空港の滑走路を3,000メートルまで延伸し、国管理の二種空港である広島空港と同規模の滑走路を、三種空港である岡山空港に整備するために多額の県費を投入する方針を打ち出されました。この頃、長野知事は、瀬戸大橋や高速交通網の整備と相まって、「岡山県を中国地方の雄県にする」とよく発言されました。
一つは,長野知事時代に着手して石井知事時代に一時凍結された吉備高原都市の活用,2年前の地質学会で,吉備高原は3,400万年前からの地層が地震や火山活動による変動を受けずに残っていることが明らかにされ,この安定した地盤に首都移転をという夢のある話も昨今言われておりますが,岡山県としてはこの地盤のしっかりした空港に近い立地を生かし,いかに価値を高められるかということが課題になろうかと思います。
既に大きな道路も整備されており,今こそ吉備高原に脚光を当てるべきですが,知事の御所見をお伺いいたしますとともに,長野知事の先見性には今さらになって関心させられるところがあるわけでございます。 また,防災対策の一つとして,三蟠九蟠海岸線の堤防並びに水門湾の高潮対策が進められておりますが,一日も早い完成を願うものであります。その完成の見通しはいつになるのか,お示し願いたいと思います。
しかし,今回の災害を見るにつけ,岡山県始まって以来の大事業として,旭川ダム建設に住民と直接交渉までして取り組んだ三木知事,旧奥津町を挙げた三十数年の大反対運動を受けながら断行した長野知事,それぞれの政治家としての信念が理解できるような気がいたします。 私なりに調べたデータでも,吉井川水系と旭川水系のダムによる洪水調節機能が大きいことがわかりました。
次に,長野知事は,玉島ハーバーアイランドの造成を行い,そのことが現在ぼつぼつ姿形となってこれからの県政に大きく影響してくるでしょう。 また,その前には,加藤知事は笠岡干拓を手がけられ,当初の目的とは多少方向の転換があるものの,新しい農業のあり方としてある意味では典型的な発展に向かっているのではなかろうかと思われます。
福祉を掲げた長野知事が,住区や複数の福祉施設,産業団地,道路などを次々と整備をしましたが,平成9年,前知事が財政難を理由に事実上の凍結をして依頼,住区や産業区の分譲はかんばしくなく,また,数々の施設が閉鎖され,中心部の商業施設などのにぎわいも徐々に少なくなってくるなど,まるで下り坂を下っているようです。 あのとき誰もが夢描いた吉備高原都市の未来像は,なぜ実現することができなかったのか。
「首長の多選を禁止すべきか」をテーマにしたことしの全国ディベート大会,中学校の部で我が県の長野士郎知事,石井正弘知事の功績を調べて挑んだ県内の学校が見事優勝,この優勝チームが勉強になったという長野知事は,犬養毅元首相を顕彰して,犬養木堂記念館を建設,その記念館初公開前の平成5年9月定例会で,我が国の政党政治史上大きな役割を果たした郷土の大政治家の功績をたたえるとともに,地域文化の振興に役立ててまいりたいと
県政にありましては,長野知事から石井知事へ,さらに伊原木知事にかわりました。この間,新岡山空港の開港,瀬戸大橋や山陽自動車道の開通,倉敷マスカットスタジアムの開場,市町村の合併など,さまざまな出来事がございましたが,とりわけ県の財政危機宣言はショックな出来事でございました。また,私の地元のチボリ公園の閉園は,私にとりましてもまことにつらいことでございました。
長野知事は,「燃えろ岡山」をテーマに岡山を燃えるべく取り組んでまいりました。今,再びそのチャンスが来たのではないかと伊原木知事さんに大変楽しみにしているところです。昨年1月3日のテレビ対談で,俳優の宇梶さんと1時間の対談をしておりました。
〔 知事 伊原木隆太君 登壇 〕 ◎知事(伊原木隆太君) 移住のことに関して,県民局はもっと役割を果たすべきだと,おまえはどう考えるかという御質問でございますが,私自身,県民局というのは,出先として大変重要な位置づけがあると考えておりますし,長野知事が予算,調整費をつけて以来,県民局長の役割は非常に大きくなっていると聞いているところでございます。
岡山県でも名知事と言われた三木知事は,農業県から工業県へ,長野知事は陸,海,空の西日本の拠点づくりをそれぞれ掲げ,大きな功績を残されました。 これに対して伊原木知事は顧客重視,スピード感,マーケティングといった内部の職員向けの訓示で使われるような業務の取り組み姿勢,手法やプロセスに力を入れている印象があります。
長野知事の時代には中国江西省や南オーストラリア州と,また石井知事の時代には韓国慶尚南道やインドプーネ市などとの友好交流がそれぞれ始まりました。友好都市提携の経緯や目的はそれぞれですが,今後,伊原木知事流の国際交流や新たな提携があってもよいと考えますが,これらの省,州,道,あるいは市との交流も含め,今後の海外との友好交流の進め方についてお伺いをいたします。
先ほどの岡山の知事なのに伊原木というお話ですが,私も長野知事もいらっしゃったということを切り返そうと思ったら,もう先に議場で出されてしまいました。このように,タイミングというのも非常に大切でございますので,時宜を得た発信も心がけていきたいと思います。 以上でございます。 ○副議長(井元乾一郎君) 教育長。
桃太郎知事として親しまれ,記者時代に特集記事を掲載した三木知事は,産業の発展と社会保障の両輪の確立,農業県から工業県へという信念のもとに,企業誘致に向けたお百度参りといった情熱を,長野知事は,人間尊重,福祉優先の理念のもと,県北の農林業の現場へも足しげく通うといった情熱を持って業務に打ち込まれていました。
これは要望なんですけれども,やはり知事のあえて言うとブレーンとなるような,特に若い経済人であったり社会活動をしている方だとか,そうした方々から知事に積極的な,前向きな話が出るような,そうしたブレーンをぜひつくっていただきたい,そのことを強くお願い申し上げたいと思いますし,私は当時,県議会議員ではありませんでしたけれども,長野県政の時代にもそうして30代ぐらいの若い方を長野知事が随分育てておられる,そうした
本県は以前から長野知事が人間尊重,福祉優先を掲げ,さまざまな福祉施策に先進的に取り組んでまいりました。吉備高原で毎年行われている車いすふれあいロードレース大会も,ことしで26回を迎えた由緒と歴史あるものがあります。そんな岡山県の福祉に対する思いや誇りを全国に示すとともに,パラリンピックに向けて,障害のある方々の競技力を強化し,支えていくためにも,この際できる限りの努力をすべきと考えております。
当時は,長野知事でございました。瀬戸大橋時代をつくる新しい山陽自動車やその他のインフラ整備を含めて,吉備高原都市づくりも含めて頑張っておられました。引き続き,石井県政は御承知のように県政改革,財政改革,地方自治の原点をどうするかというような課題を持っておられました。
生き活き岡山というのは,もともとが私の選挙から出たことですので,そういうものよりももっと高い水準の,例えば今の「晴れの国」というのは,長野知事時代から使われて,石井知事時代も使われて,まだ使われているわけですから,これはもう一人の知事の範囲を超えてもっと普遍的な存在になっていると思います。
私は,いつまでも長野知事就任当時の政治理念,そしてそこから生み出された施策を高く評価しております。私は,その評価を変えません。 今議会の知事答弁を聞く中で,知事は,インドの神様の話をされました。破壊と創造をやってのけるお話でありました。私は,聞いているうちに,ヘーゲルの「アウフヘーベン」という言葉がよぎりました。そのあたりから質問に入りたいと思います。
それから,住区につきましても,長野知事時代に非常に大きなスケールでやられたことが,交通の便とかいろいろな問題でさほど売れてないと,売れてはおるんですけど,さほど思ったほど売れてないということで,今がこの今2位になっとるといいましても,いつまでも2位ではないと思いますな,これ。やはりいいところができてきたら時間がたつと,やはり少し,うなぎ登りにいけばいいんですけど,少し低調になってくる。